もどる foot_linehidari.gif iconhoum1.gif  icon2133.gif foot_line.gif すすむ

第12日 松田〜矢倉沢(その2)

                       (歩いた距離 17.2km      2002.11.09)

yagura12-16.JPG

 南足柄市にはいる。

 洞川をわたるとのぼり道になる。

 切り通しの道で坂を越えると関本である。

マンホール:南足柄市

yagura12-18.JPG  龍福寺がある。
 境内の一角に大きな顕彰碑がある。
 江戸時代に下田隼人という名主が小田原城主福島正則に
年貢の引き上げを止めるよう直訴し、願いは届けられたが
死罪にされたという。
 その顕彰碑の前に真っ黒に苔むした「江戸」の狛犬がいる。

yagura12-17.JPG  昼食のため、伊豆箱根鉄道の終点の大雄山駅の方へ
行く。
 駅舎の前に金太郎がクマにまたがった像がある。
 ここは金太郎伝説がある土地で、
金時山登山の入り口でもある。

 まだ日が高いので矢倉沢まで行ってみようと、龍福寺までもどり矢倉沢へ向かう道を
急ぐ。

 この道は、御殿場大井線という狩川に並行していて、道に沿って集落があり
その奥は山林であるというまさに山の街道である。

 この道には双体道祖神や五輪塔、日蓮宗の髭文字の碑が多い。

yagura12-19.JPG yagura12-20.JPG  「白地蔵」がある。
岩を組んだ祠に地蔵が安置されている。
「安産と授乳の願をかけ、お礼参りに
尊体にうどん粉を塗りつける習慣が
続いている」。
「関東地方には珍しい」もので、
「化粧(けわい)地蔵ともいわれ、
この辺りを化粧坂という」。

 たしかに東海道を歩いたとき、関西に行くと地蔵を化粧する地蔵盆の風習が
今でも続いているのを見た。 一方関東では藤沢の引地川を渡ったところに化粧された
「おしゃれ地蔵」があったが、実は地蔵ではなく双体道祖神であった。

yagura12-21.JPG  バス停「白地蔵前」から右斜めに行くのが足柄古道である。

yagura12-22.JPG  足柄神社にいく。
 一山が神域のようだが、大きな木の中の静かなたたずまいの
落ち着いた社殿である。
 木彫りの脇障子は子獅子が谷からよじ登ってくる図である。
 今日は早めの七五三のため社殿が開かれていて、2、3の
着飾った家族づれがいたが、平常は寂しいところである。

 この神社は天慶3年(940)の創建で、当時は足柄峠にあったが、後にここに移されたという。
 日本武尊の東征伝説ゆかりの古社で境内を足柄古道が横切っている。

yagura12-23.JPG  近くに足柄明神の本地仏である聖観音菩薩像の観音堂があり、
境内に庚申塔などの石仏石祠が置かれてある。

yagura12-24.JPG yagura12-25.JPG  足柄古道が続いている。
尾根道が車一台分の幅の
農道になっている。
 見晴らしの良い所では、
みかん畑の間から
小田原の街と相模湾
見える。

 かなり長く尾根道を進んだ後、道なりに左に下がると御殿場大井線に出る。
 このあたりが矢倉沢で、「東山」というバス停がある。

yagura12-28.JPG yagura12-27.JPG  道に面して多くの石碑
立っている。
 その中に「目にかかる 
時やことさら 五月富士」の
芭蕉句碑がある。

 そこのバス道から左に狩川の方に急な坂を下りると、矢倉沢の関所がある。
 箱根の関所には脇関所として、根府川、仙石原、矢倉沢、河村、谷ケ(山北町)の
5カ所が定められ、その一つであったという。

yagura12-31.JPG  バス道を「矢倉沢」バス停まで進み、右に曲がり内川を
越えて行ったところに矢倉沢の裏関所跡がある。
 石村家がその跡地で、矢倉沢関所と連絡をとりながら
役割を果たしていたという。
 石垣が組んであるのがその名残なのか。

yagura12-30.JPG  そこに行くまでの道角には双体道祖神などの石仏
置かれている。

 「矢倉沢」バス停までもどってバスに乗り、関本で乗り換え新松田まで行き、
小田急に乗車して帰宅。

 もどる foot_linehidari.gif iconhoum1.gif  icon2133.gif foot_line.gif すすむ